朝日麦酒(現在のアサヒビール)が戦後まもなく発行していたPR誌、それが《ほろにが通信》です。1950年から1955年(昭和25年から30年)までの5年間に55号まで発行したようですが、幸運にもそのうちの42冊を入手することができました。
《ほろにが通信》がどんなPR誌だったかについては、右文書院のコラム「ほろにがの群像」に詳しく書かれてあるのでそちらを読んで頂くとして、ここでは創刊号の紙面をそのまま紹介することにします。ちなみに、団体名義の発行物の著作権は発行から50年間のようですので、ここで紹介しても問題ないでしょう。
B5判サイズで、全ページモノクロ、紙の厚さもペラペラと薄く、決して立派なPR誌という感じはしませんが、逆に親近感がわきます。アサヒビールのような大きな会社が、まるでニュースレターと思えるような媒体を出していたことはとても興味深いです。
興味深い箇所を拡大してみましょう。
↑表紙の女性の横にいるのが「ほろにが君」。最初はお飾り程度のゆるキャラ的扱いですが、第5号からは表紙を飾るメインキャラになります。
↑創刊の辞。戦後まもない頃の言葉の言い回しですね。
↑当時、新聞広告に使っていたジョーク集「ほろにが人生」
↑人気コーナー、ABパズル。ABとはアサヒビールの略。三ツ矢サイダーも朝日麦酒の人気商品でした。
↑川柳のコーナー。
↑詰連珠。黒より打ち出して、三手で、四三の形に並べれば勝ち。
いかがでしたか? たった8ページのなかにいろんなコーナーが盛りだくさんで、楽しい誌面になっています。『アサヒビール宣伝外史』によれば、アメリカの広告業界を視察にいったメンバーが、「PR(パブリック・リレーションズ)」「ハウス・オーガン(PR誌)」という概念を持ち帰り、それを形にしたのが《ほろにが通信》だということです。当時、宣伝といえば、新聞広告や電車の中吊りしかなかった時代。そのなかで他社に先駆けて(サントリーの有名なPR誌「洋酒天国」は1956年発行)、このようなPR誌を出していたというのは特筆すべきことでしょう。